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宮城県南三陸町志津川地区

宮城県南三陸町は、東日本大震災による津波で大きな被害を受けました。
志津川地区は、南三陸町の中心部です。

-南三陸町の被災状況-
津波の高さ:約15m(志津川地区)
被災者数:約9,000人(当時の人口の約5割に相当)
死者・行方不明者数:800人以上
津波による流出家屋:町全体の約7割

警察庁緊急災害警備本部からの被害状況報告
(外部サイト:「警察庁緊急災害警備本部」資料)

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手仕事であり手志事

SHIZU革は、南三陸町「志津川」地区のお母さん方による手編みの革細工です。

革細工の経験は皆無のお母さん方でしたが、2011年の11月以来コツコツと作り続け、今ではだいぶ洗練されました。

革への愛着が芽生え、革に語りかけながら製作されるお母さんもいらっしゃいます(笑)。

ご支援いただいた方々への感謝や、東日本大震災を忘れないで欲しいという願い。お母さん方は日々それぞれの“志”を込めてSHIZU革を編み続けています。

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SHIZU革の目的

SHIZU革プロジェクトの目的は、以下の四項目を共創することです。

「風化防止のきっかけ」を創出する
SHIZU革が一つのきっかけとなり、東日本大震災を覚え続けていただくことを願っています。

「現金収入」を創出する
材料・運営コストを除いた収益が、志津川在住の製作者の現金収入となります。

「語り合いの場」を創出する
製作者とボランティアが定期的に集まり、会話を楽しみながら共同作業をしています。
(活動拠点:南三陸ポータルセンター

「生きがい」を創出する
手しごとにこだわり、生きがいや喜びを見出します。

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SHIZU革のシンボル

SHIZU革のシンボルは南三陸町(旧・志津川町)の町鳥である“イヌワシ (Golden Eagle)”です。

さらに、SHIZU革の“イヌワシ”には、聖書が語る励ましと希望が込められています。

疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまづき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
(聖書・イザヤ書40章29-31節)

SHIZU革が鷲の様に羽ばたき、復興のシンボルの一つとなることを願っています。

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手作り市サイト「クラパカ」より、SHIZU革・特集記事の抜粋です。クラパカ運営会社(広島県福山市)のスタッフの方が、わざわざ取材に来て下さいました。

(取材日:2012/07/05 / 回答者:SHIZU革スタッフ 國分)

革作品を作って販売することになった経緯を教えてください。

まず、私が初めてこの南三陸町に入ったのは、震災後に、ある町議会議員さんの誘いを受けての視察に同行させていただいたのがキッカケだったんですけど、私はそれまで、同じ宮城県に住んでいながらも南三陸町って行ったことなかったんです。テレビで(被害の)映像は見ていたんですけど、実際にそこに足を運んでしまうと、未だになんとも表現できないんですけど、本当に凄まじい惨状が広がっていて、あまりのインパクトに、ただただ言葉を失ってしまって…。

そんな中で、現地で私達視察団を待っていてくださった方々が本当に素晴らしい方々で、この見るに堪えない惨状の中で、自らのことは後回しにして困っている人を助けて、お互いに励まし合っているその姿にすごく強烈なインパクトを受けたんですね。

そういう方々を見ていて、とにかくなんとか、何かできることをさせていただきたいということからの始まりで、当初はとにかく水とか食べ物や医療品とか、かき集められるだけの物資を届けることをやっていました。今日届けたら、すぐまた明日明後日も来るくらいの往復だったんですけど、そこでだんだんだん現地の方々とお互いに顔見知りになっていき、その方々と連携しながら支援を続けていたんです。それがだいたい4~5ヶ月ですかね。続きました。

でも当然といえば当然なんですけど、物資の必要って徐々に収束していくんですよね。とはいえ、せっかくここで得られた人間関係を大切にしたいと思いまして、物資支援の次っていうのをいろいろと模索していたんです。その中で、やっぱり早い段階から「現金収入」の必要があるっていうのは明らかだったので、物資の提供と並行して、「雇用」というか「内職」についての試行錯誤を始めていたんです。

本当は男性に家計を支えられるような仕事をご提供でるのが望ましいとは思っていたんですけど、なかなかそれは現実的に難しくて…。そうなってくると必然、女性や年配の方々を対象とした「編み物がいいんじゃないか?」といった意見が出てきて、それで内職の方向でいろいろと検討してみたんです。ですけど、これが結構手間と初期コストがかかるというか…私達もこういうのは初めてなもので、なかなかどれもこれも、実際にやってみたら現実的ではないということが判明してきて、そういう試行錯誤を経て、初心者でも易しいレベルから始められて、それでいて安っぽくなくて、将来広がりが期待できるものということで、ようやくたどり着いたのが革細工だったんです。

当初から一過性のものではなく、長く続けていけるものとして始まったんですね。

そうなんです。この革細工のブランド名を「SHIZU革」と銘打ったんですけど、やっぱり南三陸・志津川という元々の町を由来に、単にシャレではなく、町の基幹産業だった水産加工が大打撃なのもですから、夢としては水産加工が復興しつつも、新しい志津川の産業として、この革というものが行く行くは成り立っていったらいいな、という夢を抱いているんです。

ただ、やっぱり私達からの一方的なの押し売りであっては、それは本意では無いので、まず現地の方々に相談したんです。そうしたら「ぜひやりましょう!」ということになって、去年(2011年)の11月ぐらいからスタートしました。そういうプロジェクトなんです。

革細工は皆さん初めてだったんですよね?そこからスタートして作品として成立するまでは大変だったのでは?

大変でしたね。教えるこっちも初めてでしたから。メンバーの“松田ゆき”さんが先生…と言ってしまうと本人はプレッシャーかも知れませんが、彼女がみんなの革の先生なんです。先生といっても、彼女も元からの経験者ではなくて、本屋さんに行って革の本を買ってきて、そこからなんですが、彼女が試行錯誤をしてくださって、ようやく今の商品(の形)に行き着いたんです。

ロゴの鳥には何か意味が?

志津川の町の鳥、町鳥がイヌワシなんです。

あと、私たちは教会が母体なんですけど、聖書の中に鷲が出てくるんですね。それがまさに大変荒廃した状況の中で、(神さまから)力をもらって鷲のように羽ばたいていくという象徴として出てくるので、その意味合いが、このプロジェクトの趣旨とピッタリだなということで、このロゴになりました。

現在何人くらいで、どの位の量を作られるんですか?

人数は今10人程です。量はだいたい1人が月に100個なので、1日で考えると3~4個くらいになりますね。それを週に1回、1週間分を回収して次の革(材料)を提供するという形でやっています。

皆さんお家で作っているんですか?

そうですね。家で作ってくださっています。失礼ながら当初は皆さん結構時間があるのかなって思ったんですけど、実際は働いているお父さんお母さんの代わりに、おばあちゃんが孫を学校へ送り迎えしたり、それこそ働き手の帰りが遅い場合は御飯作らなきゃいけないとか、何かと忙しくされていているそうなんです。だから作るのは朝の早い時間とか、夜孫や子どもたちが寝静まってからとか、空いた時間でですね。

結構ハードですね。

そうなんです。今は小さいものと首から下げる長いものの主に2種類を作っているんですけど、皆さん慣れてきたとはいえ、小さいものでも20分くらい、長いものに関しては、一個作るのに大体50~60分かかるんです。編んでしまうと実感が無いんですけど、長いものは元々トータルで5メートルの革紐で作っているんで、人によってはふすまの桟にフックを付けて、そこから革を垂らして編んでいったりとか、時間もですけど作業自体が結構大変なんです。

そういう裏舞台っていうのか、完成に至るまでの過程も価値の一つだと思うので、そういう部分も出していきたいんですけど、まだそこまで手が回っていない状態です。

そうやって作られたものを販売して、その販売金額のうちの何割かが、作られた方に?

いえ、売れたらお支払いするという形ではなくて、売れる売れないは関係なく、まず先に買い取っているんです。もちろんそこには一定の、私達が定める品質の基準があるんですけど、そこは皆さんもうほぼ合格なので、合格したなら1個につき幾らということで買い取らせていただいています。なので後はこっちがもうひたすら売らない限りは回らなくなってしまうという現状です。

ただ、私達が幸いだったのは、私達はキリスト教の教会が主体となっているので、それこそ当初は全国、場合によってはアメリカとか世界中にある教会に「こういう活動を始めたんだ」って呼びかけて、言葉は悪いですけど半ば同情票をいただきつつ、そうやって初期に作った作品は多数の方に買っていただけたんです。ですけど、やっぱりいつまでも同情票で買っていただくことに甘んじていてはいけないので、買っていただいた方に喜んでもらえるものを作ろうと、いろいろ意見を出しながら、誇りを持って皆さん作ってくださっています。

今後の活動について教えてください

他の支援団体さんも雇用や収入だけではない、なにか活動の目的があると思うんですけど、私達 SHIZU革 のプロジェクトでは3つの目的を掲げています。

一つ目は「収入の必要を少しでも満たす」ということ。

二つ目は「生き甲斐を提供させていただく」ということ。生き甲斐っていうと、ちょっと大げさなんですけど、日々のやること自体を失ってしまった方も多かったんですね。やることがないっていうのが、結構これは辛いことなんですよね。だから少しでも作業を提供させていただいて、そこに充実感とか喜びを見出して頂きたいということで、生き甲斐を提供すると。

そして最後三つ目は「コミュニティを提供させていただく」っていうことなんですね。

南三陸に来てビックリしたことがあったんですけど、南三陸は正直田舎なんですが、田舎って昔から近所間の繋がりが深かいっていうイメージがありませんか?僕も福島の田舎育ちなんで、そういうイメージを持っていたんですけど、志津川の方々って、田舎ではあるんだけど実際全然そうじゃなかったらしくて、震災前まではご近所でも、道ですれ違ったら挨拶をする程度の関係だったそうなんです。それがこの震災をキッカケに、それこそ近所で一緒に炊き出しとか、物資の提供をせざるを得ない状況になって、そこで一言二言話し始めるようになった、っていうのを後で聞いてビックリしたんです。

なのでキッカケは震災っていう悲しい出来事だったんですけど、それを通して、今だんだん、こうお互いを知りつつある、そうなってきている、っていう状況なんですね。そんなせっかくの状況なんですが、これって定期的に集まれる場があってからこそ、これからも継続して行く面があると思うので、そのひとつの場としてSHIZU革というコミュニティなんです。なので、SHIZU革メンバーの皆さんには、あえて週1回木曜日に集まっていただいているんですが、みんなで集まって作るって言うよりも、実際はいろいろ本当に雑談ですよね。いつもまず最初はコーヒーを飲んでワイワイと(笑)あえて「今日は語り合う時にしましょう」とかじゃなくて、みんなが普通に触れ合っている。そんな姿がとても自然だなぁ。いいなぁって思います。今の感じを見てると「あれ、この人達、去年まで赤の他人だったんじゃ?」なんてことすら思わないですもんね。皆さんで話し合って自発的に「こういうの作ったらどう?」って新商品の発案があったり、メンバーの若い方はパートと掛け持ちなんですけど、正直パートの方が収入がいいにも関わらず、木曜日はわざわざパートを休んでまで来てくださったり、そういうのが本当に嬉しいですね。

やはり楽しいからこそ皆さん集まってくるんですね。

うん、そうですね。恐れ多いというか、感謝する面がありますね。

また、こうやって南三陸で週に一回集まっているように、利府(仙台市の隣にある町で南三陸からは2時間ほどの距離)でも週一・二回ボランティアの方々が集まって、南三陸から持ち帰ったものをラッピングしたりしてるんです。利府に住んでいて、なんていうか、被災地の方々に対して何もできていないんじゃないかって葛藤する方もいらっしゃって、かといって現地に行くのは容易では無い、そういう方々が被災地に対して何かできることないか、ということで、あえて利府に事務所を構えて作業を行なっています。

多くの方が携わっているんですね

そうなんです。沢山の方と一緒にやっているんです。SHIZU革 はあくまできっかけとして、これからも皆さんに結びつく道具として用いてもらえればなと思うんですけど、それにはやっぱり「一緒に」っていうことですね。支援をする側、される側とか自分たちで線引をしないで、みんなで一緒に進んでいきたいですね。

このコミュニティを大きく形成していきたいんですけど、ただ単に人を増やせばいいというものでもなくて、やっぱり被災地には地元ならではの、今現在住んでないとわからないデリケートな問題も沢山あるので、その辺をひとつひとつ現地の方々と、今いる方々と相談しつつ進めていこうと思っています。そして願わくば、そういう温度差を解消していければなって思います。

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